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ご挨拶

荒川友幸
学校法人朝日学園 東京明生日本語学院
日本語教師養成科 主任

日本語教師になったとき

 私は1986年に日本語教師になりました。東京外国語大学の日本語別科、国際学友会など「官」の学校の他、私立の日本語学校は長沼スクールなど東京にも数校しかないような「牧歌的な」時代でした。「国語」と「日本語」の違いもまだ一般化しておらず、仕事を聞かれて「日本語を教えている」と言うと、やや怪訝な顔をされ、「国語の先生ですか」と聞き返されました。事ほど左様に、「日本語教師」はマイナーな職業でした。

 

海外での日本語教育に従事

 最初の4年は日本国内の学校で教えましたが、1990年から2年間、台湾の日本語学校で日本語を教えました。その後はずっと海外勤務が続き、JICA専門家、国際交流基金の日本語専門家、日本語上級専門家などの立場で、パプアニューギニア(国立ソゲリ高校)、韓国(高麗大学)、ブルネイ(日本大使館日本語講座)、エジプト(国際交流基金カイロ事務所)、カザフスタン(カザフスタン日本人材開発センター)、ロシア(国際交流基金モスクワ事務所)で日本語教育に関わりました。国際交流基金の専門家としての主な仕事は、講座の立ち上げ、および任地(とその周辺国)における日本語教育の活性化支援のための事業の企画と実施でした。

 

ロシアでの仕事

 たとえばロシアでは、ヤクーツク、ノボシビルスク、イルクーツク、サンクトペテルブルグ、アストラハン、ロストフなどの諸都市や、トゥルクメニスタン、アルメニア、グルジア、モルドバ、エストニアなどの周辺国に出張し、それぞれで日本語教育状況を視察し、講演をしたり、公開授業を行ったりしました。結局、約20年の海外勤務のあと、2013年に帰国しました。そして、学校法人朝日学園で日本語教師養成科を担当することになりました。

 

私の経歴

 私の経歴は私だけのとてもユニークなものです。私以外のどんな日本人も私のような順番で海外で生活してきた人はいないでしょう。私は日本語教師になったおかげでそのような特別な人生を送ることができました。

 

日本語教師という職業

 日本語教師は技術職のひとつであり、技術と資格を持っていれば、年齢にはあまり関係なく仕事があります。また、日本国内の日本語教師は、若い留学生たちにとってもっとも身近な頼りになる大人であり、いろいろな相談を持ちかけられます。人と関わること、人を助けることが好きない人にとっては大きなやりがいを感じられる仕事です。

 そもそも、母語を教えられるということはそれそのものが幸せなことです。私たちにとって日本語はもっとも深く知っている知識です。私たちはある文が正しいか間違っているか、直感的に判断できます。また、私たちはネイティブと判定されるような発音で日本語を話すことができます。

 

母語を教える

 そもそも、母語を教えられるということはそれそのものが幸せなことです。私たちにとって日本語はもっとも深く知っている知識です。私たちはある文が正しいか間違っているか、直感的に判断できます。また、私たちはネイティブと判定されるような発音で日本語を話すことができます。

 

潜在的知識を顕在的知識に変える

 一方、私たちの日本語の知識は、「暗黙知」「潜在的知識」などと呼ばれるもので、「どう言うか」について判断できるものの、「どうしてそうなるか」は説明できません。
 たとえば、「本は机の上にあります」と「机の上に本があります」は何が違うか。「書きます」は「書いて」と言うが、「買います」は「買って」になる。ここにはどんなルールがあるか。「書いてください」はどうして「書いてください」になるか。「書きますください」ではどうしてダメか。
 上に書いたようなことは外国人の初級学習者が必ず教員に聞いてくることで、きちんと答えられなければなりません。養成科での勉強は、日本人がネイティブとして持っている日本語についての「潜在的知識」を「顕在的知識」に変えます。

 

指導技術を学ぶ

 養成科で勉強するもう一つの事柄は指導技術です。日本国内の日本語学校では日本語を直接法で教えます。「直接法」という方法は、日本語だけを使って日本語を教える技術です。
 日本語がまったくわからない超初級の学生にも日本語だけで教えます。日本語がわからない学生に日本語だけで教える?それは不可能ではないか?ところができるのです。具体的には、既習の語彙と文型を使って新出の語彙と文型を教えます。学習者の日本語理解が限定されているので、言葉だけでなく、写真、絵、アクションなどさまざまな非言語的な要素を補って、理解を進めていきます。

 

技術移転の場

 ただ、この直接法の技術がたいへん難しい。独学でマスターするのはほぼ不可能です。私たちの講座では、たくさん模擬授業を積み重ね、最後の実習に結び付けます。
私が日本語教師となって30年以上の年月が過ぎ、私のキャリアも終わりに近づきつつあることを実感しています。このような状況で、私が体得してきた知識、技術を次の世代に伝えたいと考えるのは一種の本能のようなものだと思います。私にとってこの講座は私の「技術移転」の場です。