学校法人朝日学園 明生情報ビジネス専門学校

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足のすぐ下を雪崩が通り過ぎた

 アルマティの郊外、車で40分ほど行ったところにチンブラクスキー場がある。標高2200mくらいのところが終点で、一番高いところは3100m。一番上で滑ると高度の影響ですぐに息が上がる。
 滑降可能なのは12月から5月くらいまでで、この期間、私は用事がない限り、毎週末必ずスキーに出かけた。朝9時に滑り始め、午後1時頃まで滑ってレストランでシャシリク(コーカサス風焼肉)を食べ、帰ってくる。
 リフトに行列ができることはあまりなく、いつもすいすいと滑れる。ゲレンデもいつもがらがらで、特に朝早い時間上のほうへ行くと広い斜面を滑り降りるのは私だけとなる。パウダースノー。リフトを降りて、滑り降りる準備をしながら、ちょっと足を動かすと、スキー板の下の雪がキュッキュッと鳴る。圧雪してあるコースを高速で直滑降するのも快感だが、降雪直後、柔らかい雪の急斜面を、ひざまで雪に埋もれながらウェーデルンでスピードをコントロールして降りてくるのもたまらなく面白い。いろいろな楽しみ方ができるので、私はこのスキー場が大好きだった。このスキー場である日事故が起きた。

 2005年4月、私はチンブラクスキー場の最高点であるタルガル峠に向かって第3リフトに乗っていた。このリフトは、尾根筋と平行に山の中腹に設置されている。全体の3分の2を過ぎたころ、私は私の右側、尾根近くの高みに3人のスノーボーダーがいるのを見つけた。彼らは立ち入り禁止の箇所を滑り降りていた。私は、最初の2人のボーダーが滑っていくのをちょっと見た。視線を前に戻したとたん、上のほうで叫び声がした。それが3番目のボーダーが雪崩を引き起こした瞬間だった。尾根筋近くから私の乗っているリフトのすぐ下までの全面で雪がカーリーヘアのように沸き立った。それから、私の真下で雪が崩れ始めた。強い風が起きた。私の前のリフトのいすがほとんど平行になるまで揺れていた。私の乗ったリフトも大きく揺れた。私はリフトの「ぶら下げ棒」につかまった。落ちると思い、自分に何かできることはないかと考えた。すると、自分には何もできることがなく、とにかく運を天に任せて、雪崩が静まるのを待つしかないことがわかった。雪崩を引き起こしたボーダーが私のすぐ下を叫び声を上げながら流されていった。見上げると、そこここで地肌が露出し、全層雪崩が起きたことは歴然としていた。
 私がリフトの終点に着いたとき、そこではみんながLavinaと叫んでいた。私はロシア語で雪崩という意味のこの言葉をこのとき1回で覚えた。一生忘れることもないだろう。何人かがスコップを持って雪崩の現場に滑り降りていった。私もそこに向かった。タルガル峠から滑り始めてまもなくは傾斜が急な上、斜面の形状も複雑で、滑ることに集中しないとうまく滑れない。しかし、気が動転していて滑ることにまったく集中できない。私が何度も転びながら、雪崩跡の、ボーダーが埋まっているところに着いたころには、すでに7,8人の男たちが埋まった彼を助けるために必死で雪を掘っていた。水を多く含む春先の雪の中に埋もれると数分で窒息死してしまうそうだ。このときは幸いにも、ボーダーはまもなく無事に掘り出された。

 私が目撃した雪崩のほぼ1週間後、もっと大規模な雪崩が起き、今度はリフトに乗っていた人が亡くなってしまった。私はこの事件の翌日、チンブラクへ行き、多くの救助隊員やテレビのスタッフがあちこちをあわただしく歩き回っている異様な光景を見て、いったい何事が起きたのかと思った。雪崩が起き、人が死んだと聞いて驚いた。後で亡くなった状況を調べたら、私が遭遇したのと全く同じ状況で、ただ、雪崩の規模だけが違っていた。私はちょっと運がよくて死ななかった。英語で言うClose shaveの経験である。

荒川友幸
日本語教師養成科主任
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